ゲイムマンのダイスステーション

日本縦断ゲーセン紀行

242.なかなか見られない蒸気機関車
~京都編(8)~


スタート時点での「ゲーム路銀」は、「ゲーセン」にちなんで¥5,000(G千)。
ゲーセンでゲームをプレイして、1面クリアーするごとに、
「ゲーム路銀」は¥100ずつ増える。
(ただし、1プレイ¥50円のゲームなら¥50ずつ、1プレイ¥200なら¥200ずつ。
 ゲームをプレイするためのお金も、「ゲーム路銀」からねん出する)
この「ゲーム路銀」だけを交通費にして、日本縦断を目指すのだ!
(前回までのゲーム路銀 ¥600


京都

2022年6月14日。
今日も8時半起床だが、この時刻に起きるのが日に日にきつくなってきた。
行く所が決まらず、昨夜午前4時まで寝ないで考えてたのが悪い。
昨日コンビニで買っていた、瀬戸内レモンケーキを食べる。

疲れが溜まりすぎてて、ホテルを出た時点でもう10時24分。
今日の目的地へ向かうため、ひと駅だけだが電車に乗ろう。
10時33分発。これはちょっと間に合わないかも。その次は……、
10時57分までない!

急いで33番ホームへ駆け込む。
33分発の普通・園部行きに何とか間に合った。
こんなに本数が少なかったら、
そりゃ、この時間でもそこそこ混む。
しかも4両編成。しかもクロスシート。

因縁の嵯峨野線である。
昨年末、円町から京都へ戻る際に乗って、観光客の少ないあの時期に、
スシ詰め状態で移動させられた、あの嵯峨野線である。

東京都心の路線みたいに、5分おきくらいに電車が来て、
10両くらいの編成数で、ロングシート車で、
それでも満員電車になるんだったら仕方ないと思う。

でも嵯峨野線の場合、沿線人口が多い上に、学校も多く、
さらに二条城や嵐山といった観光名所まであるにもかかわらず、
・20分に1本くらいしか電車が来ない。
・車両がクロスシート車なので、立てるスペースが非常に狭い。
・基本的に4両編成。

1990年代から2000年代にかけて複線化や高架化を行ない、輸送力増強に努めたようだが、
その後の利用客の増加に、対策が追いついていないのだろう。
……いまだに4両編成の221系クロスシート車を使ってる点に関しては、
改善しようという意識が欠けているだけだという気もするけど。

何はともあれ京都駅を発車。左にいっぱい側線がある。
高架に上がるとすぐ、梅小路京都西駅着。ここで降りた。
ゲーム路銀 ¥600-¥150=¥450

梅小路京都西

梅小路京都西駅は、
2019年に開業した新しい駅だ。

駅を出たら正面に、京都鉄道博物館が見えた。
今日はここへ行く。
伏見稲荷大社とどっちにしようか、
昨晩午前4時まで悩んでいた。

隣の梅小路公園に、
京都市電の電車(2000形)が
静態保存されていた。

京都鉄道博物館は、2016年にオープンした。
長らくここにあった梅小路蒸気機関車館を大幅リニューアルし、
閉館した大阪市の交通科学博物館にあった収蔵品も、多数展示されているらしい。
私は梅小路蒸気機関車館時代にも来たことがあるが、全く変わっていて驚いた。

蒸気機関車館時代の後期に
エントランスとして使われていた、
優美な姿の旧二条駅舎は健在だった。
1904年(明治37年)に建設された、
山陰本線(嵯峨野線)二条駅の初代駅舎。
橿原神宮や平安神宮、
築地本願寺などを手掛けた伊東忠太が設計。
1996年(平成8年)まで現役の駅舎だった。

この駅舎が現役の二条駅だった頃は、現役最古の駅舎とされていた。
(現役でない駅舎を含めれば、1882年(明治15年)の長浜駅が最古)
ただしその当時から、武豊線の亀崎駅に明治19年(1886年)の建物資産票があり、
こちらの方が現役最古ではないかという説が根強くあった。
二条駅舎が現役でなくなったことにより、
今では亀崎駅が現役最古の駅舎とされている。

 
亀崎駅にも旧長浜駅にも、ゲーセン紀行で訪れたことがある。

京都鉄道博物館

梅小路公園(京都市都市緑化協会)

京都鉄道博物館の入口は、旧二条駅舎の隣にある真新しい建物。
(入館料¥1,200)
入ってすぐの所に、SL、電車、新幹線といった、各時代の代表的な車両が並んでいる。

蒸気機関車(SL)のC62。
旅客用SLとしては日本最大。
幹線の特急列車を牽引していたので、
映像や写真では見る機会が多いけど、
D52からの改造ということもあって
生産両数が少なく、知名度の割には、
なかなかお目にかかれないSLだ。

現存する車両は5両しかなく、うち3両がこの京都鉄道博物館にある。
(※ほか2両のうち1両は、名古屋のリニア・鉄道館にある。
私も見たことがあるのだが、このときにはそのことを忘れていた)

先輪2軸、動輪3軸、従輪2軸。
日本では「2C2」、国際的には「4-6-4」と表記される軸配置で、
アメリカではこの軸配置のテンダーつき機関車に、「ハドソン」という愛称がある。
これがゲームソフト開発会社「ハドソン」の名前の由来となっていた。

80系電車。1950年から登場。
それまで機関車+客車が行なっていた
旅客の長距離大量輸送を、
電車で初めて実現した。

このクハ86001は、80系で最初に造られた車両。
正面の窓が、その後造られた80系の2枚窓スタイルではなく、
戦前からの形を踏襲した3枚窓になっている。
(※なお、現存する80系電車は、この博物館にある2両だけで、
圧倒的多数派だった2枚窓の80系は、全く残っていないらしい)

ちなみに2枚窓の80系はこんな感じ。
(80系を模した姿の、藤沢駅のキオスク)

おなじみ新幹線0系。1964年(昭和39年)。
ここには4両展示されているが、
いずれも車両番号1番、
いわゆるトップナンバーだ。
新幹線と記念撮影できるサービスが、
小さなお子さんたちに大人気。

80系電車も先頭車(制御車)だけでなく、後ろに電動車が1両連結されている。
C62の後ろにも客車が2両続いていて、
現役時代ほど長くはないけど、ちゃんと編成になっている。

C62の足回りがよく見える。

客車の足回りも。
(貴賓客用寝台客車・マロネフ59形)
台車の形が今とは全く違っていて面白い。

SL時代の食堂車スシ28と、ブルートレインの食堂車ナシ20の車内を、
窓越しに見比べられる。

ブルートレインの牽引機はDD54。
不具合が頻発し、早い段階で
DD51に置き換えられたため
(DD51も初期は故障が多かったが克服した)、
数が少なく、保存機はこれ1両しかない。

その隣はなじみ深い103系電車。
(大阪環状線仕様)
私にとっては山手線・京浜東北線の印象が強い。
3,500両近い車両が造られ、各地に投入された。
この車両はその中の、
制御車クハ103形の車両番号1番。
トップナンバーだ。

車内に入れる。見慣れた通勤電車に見えるが、

天井に扇風機がついているのが懐かしい。
「JR西日本」の文字入り。

ドア上の路線図も少し古いもののようだ。梅小路京都西駅がない。

80系電車の座席も窓からよく見える。ボックスシートに灰皿がある。
車端部だけロングシートだった。ロングといっても、
113・115系やE231系のセミクロス車のような、クロスシートくらいの長さだが。

0系新幹線の座席は初期型のようで、隣り合う座席がくっついていて、
リクライニングしない3列・2列のもの。
グリーン車はリクライニング式。フットレストがついている。

ビュフェ車は初めて見たかも。窓の方を向いた座席と、その後ろにカウンター。
(※初めて見たと思っていたけど、もともと大阪の交通科学博物館にあった車両なので、
昔行ったときに見てるはず。記憶になかった)

逆側の先頭車は展示室になっていて、試作車や台車の模型、空気ばねや、
下枠交差パンタグラフ(従来のパンタグラフより小型化された)などがある。
初期の転換クロスシートと、
1981年から導入された、普通車のリクライニングシートが並んでいる。
運転台にも入れる。意外と狭い。見通しが利くように、地上から高さがある。

京都鉄道博物館

腕木式信号機の向こうに、電気機関車が2両。
EF58と、
EF81の旧トワイライトエクスプレス仕様。
上屋(うわや・屋根)も展示物で、
1914年(大正3年)に造られ、
2代目京都駅で使われたもの。
ホームには、蒸気機関車のススで汚れた顔を
洗うための洗面台もあった。

EF58は、戦後に長期間活躍した、
旅客用の直流型電気機関車。
窓があって、中の機器が一部見えた。

EF81は、いわゆる日本海縦貫線を
直通するために開発された、
交直流電気機関車。
トワイライトエクスプレスは
この日本海縦貫線から青函トンネルを通って、
大阪と札幌を結んでいた。

こちらの機関車にも、客車がつながっている。
ブルートレイン24系のA寝台車・オロネ24形。
寝台の状態と、座席に変形させた状態、両方を見られる。

トワイライトの食堂車、スシ24形「ダイナープレヤデス」。
座席と厨房が見られる。
ゲーセン紀行の初期によく乗っていた、北斗星の食堂車を思い出した。
トワイライトエクスプレスには、とうとう乗る機会がなかったなあ。

北海道の白老の踏切で、
通過するトワイライトエクスプレスを
偶然見た
ことならある。

EF58、オロネ24のあるホームには、
直流型電気機関車EF65の1号機もあった。
1965年(昭和40年)製。
電気機関車の需要の高まりを受けて量産され、
旅客・貨物双方で幅広く使用された。
308両という生産両数は、
国鉄の電気機関車で最も多い。

トワイライトエクスプレスの最後尾は、
A寝台車・スロネフ25形。
2人用A個室寝台「スイート」1室と、
1人用A個室寝台「ロイヤル」4室があった。
車端部にあるスイートは、この大きな窓から
後方の景色を楽しむことができた。

ヘッドマーク(テールサイン)も、
それまでの特急にはない、
独特の雰囲気を持っていた。

この近くに、館外の営業路線から館内へつながる、引込線の線路が延びている。
柵の向こうの運転区に、カラフルな装飾が施されてキティちゃんが描かれた、
281系電車(関空特急はるか用)が見える。

遠くの方でちょうど、SLがバック運転で動いているのが見えた。
あれが「SLスチーム号」か。

京都鉄道博物館

京都鉄道博物館に入ったのは
11時より前だったが、
プロムナードとトワイライトプラザを
じっくり見過ぎたせいで、
本館に入ったときは正午近かった。

230形蒸気機関車。重要文化財。
国産初の量産SL。
1902年(明治35年)から、41両が製造された。
ここに展示されている233号機は、1903年製。

鉄道の歴史についての解説展示を見よう。
ワットの蒸気機関を再現した装置が動いている。

英国での鉄道開業から、日本への伝来、新橋-横浜間の開業。
1872年(明治5年)の開業から、今年でちょうど150年になる。
開業式のジオラマとか、創業当時の制服とかが展示されている。

京阪神間は、大阪-神戸間が1874年(明治7年)、
京都-大阪間が1877年(明治10年)に開業した。
大阪駅のジオラマがある。1つのジオラマなのに、
赤いレンガの初代駅舎と、白い2代目駅舎が切り替わる。不思議。
(※これも確か、大阪の交通科学博物館にあった模型で、
昔行ったときに見ているはずなのだが)

旧逢坂山隧道(トンネル)の石額もあった。
旧逢坂山(おうさかやま)トンネルは、馬場駅(現在の膳所駅)と、
大谷駅(現在の京阪の大谷駅付近)を結んだ東海道本線のトンネルで、
初めて日本人だけの力で建設された。

日本鉄道、山陽鉄道、関西鉄道など、大規模な私鉄が各地で建設され、
やがてそれらは国有化された。

EF52形1号機。1928年(昭和3年)製。
国産初の大型直流電気機関車。

1800形蒸気機関車。
1881年(明治14年)、英国から輸入された。
京都-大津間や、長浜-敦賀・大垣間には
かつて急勾配があり、
そうした区間で活躍した。

本機は1801号機だが、交通科学博物館時代、
導入初期に使われた40番に復元された。

特急富士とつばめのヘッドマーク。
特急に愛称がついたのは1929年(昭和4年)。
愛称は公募で決められ、票数1位の「富士」と、
3位の「櫻」が採用された。
また2位の「燕」は、翌年新登場した
高速特急列車の愛称に使われた。

富士のヘッドマークは、富士山の形をした独特のもの。
私は寝台特急の末期の頃しか知らないが、
ヘッドマークは古くからこの形だったのか。

富士は2009年廃止。
最末期は、はやぶさとの併結だった。
この写真は2008年に撮影したもの。

戦時中のポスターや、注意事項などの資料もあった。
戦後の特急へいわ(後のつばめ、はと)や、
進駐軍専用列車のヘッドマーク(複製)も。

戦後の歴史展示。日本国有鉄道(国鉄)発足。東海道本線全線電化。
電車特急「こだま」や、ブルートレインの登場。新幹線開業。
昔の新幹線の切符が小さい。

100系新幹線の車両がここにあった。
長らくモデルチェンジがなかった新幹線の、
初めての後継機で、
1985年(昭和60年)に登場した。
展示されている122形5003号車は、
1989年(平成元年)製造。

幼稚園児の団体さんが、ぞろぞろ歩いてて、かわいらしい。

歴史展示の最後は、JR発足時のポスターなどの品々。
また、連絡船や、国鉄バスについての解説も。

京都鉄道博物館

「昭和乃駅」のコーナー。
手前のダイハツ・ミゼットは、
大阪の交通科学博物館にあったものか。

駄菓子屋が再現されている。

「昭和乃駅」には、荷物預り窓口や、木製ラッチ(改札)が再現されていた。

本館のいちばん奥には、さっきトワイライトプラザの奥で見た、
引込線とつながる車庫がある。

窓の大きな車両が展示されている。
旧トワイライトエクスプレスの、
オハ25「サロン・デュ・ノール」。

まるまる1両が、日本海の景色を見るための、
寝台のないサロンカーに充てられていたわけで、
やっぱりトワイライトエクスプレスって、特別な列車だったんだなあと感じる。

電源車のカニ24も連結されていた。
トワイライト以外では、1955年(昭和30年)製ながら国鉄末期まで使われた、
スハ43系客車の軽量形・オハ46形もあった。

車庫の客車を上から見られる通路がある。
サロンデュノールの屋根にはほとんど何もなく、すっきりしていた。

本館入口付近に戻る。
壁にヘッドマークが並んでいた。
シンプルな造形で、各列車名や風景を表現した
デザインが素晴らしい。
「さくら・はやぶさ」「富士・はやぶさ」
のような、複数の寝台特急の
複合ヘッドマークが懐かしい。

本館入口に展示されている、
500系新幹線521形の1号車。
隣のクハネ581形と比べると、
車高が低いのがよくわかる。
本当に弾丸のような形だ。

ほかの新幹線はJR東海とJR西日本それぞれに所属していたが、
500系はJR西日本が単独で開発した車両。
(だから名古屋のリニア・鉄道館にはない。)
とにかく速さを追求した新幹線で、
当時世界最速の、時速300キロでの営業運転を実現した。

京都鉄道博物館

500系新幹線の隣には、
1967年(昭和42年)に登場した、
昼行夜行兼用特急電車581・583系の
クハネ581形(この車両は1968年製)。
旅先で見かけることはあったけど、
この車両にも一度も乗れずじまいだった。

581・583系電車は、寝台特急として夜間に運行した後、
3段寝台をボックスシートに変形させて、昼間の特急に使うことができた。
また、外観のデザインや、正面に設けられた貫通扉を使って別の車両と連結できる仕様は、
後の特急にも影響を与えた。

さらに隣はクハ489形1号車。
1964年(昭和39年)から製造された、
交直流特急電車485系の一員。
485系(481・483含む)は全国の電化区間で、
長年にわたり活躍した。

1971年(昭和46年)に登場した489系は、いわゆる横軽対応車で、
横川-軽井沢間の急勾配に対処するため、
前にEF63電気機関車を連結して、協調運転できるようになっていた。

これらの車両の後ろには、1917年(大正6年)に製造された有蓋貨車ワム3500形と、
1959年(昭和34年)に登場した特急コンテナ列車「たから」専用の、
薄緑色の車掌車、ヨ5000形が並ぶ。

私は小さい頃、室蘭本線沿線に住んでいて、50両編成の貨物列車が通るのをよく見ていた。
だから貨車にも懐かしさを感じる。
(ワム3500のような二軸車は、さすがにもうなかったか)

1960年(昭和35年)に登場した、
日本初の特急型気動車、キハ81形(80系)。
ボンネットがついた初期型。
非電化区間に投入された、
幹線と遜色ない設備の特急列車だ。
さっきの「昭和乃駅」のホームに
入線している形で展示されている。

国鉄ディーゼル機関車の代表格DD51形。
全国の蒸気機関車を置き換えるため、
長期間にわたって製造された。
民営化後も長く使われている。
(この車両は1972年製造)
車体の下に通路が設けられ、
床下を見られるようになっている。

こちらは国鉄時代の
ハイパワー直流電気機関車EF66。
貨物列車の高速化を目指して
1968年(昭和43年)に投入された。
(この車両は1974年製)
DD51同様、機関車の真下から床下を見られる。

EF66とDD51は、寝台特急の牽引車として
最近までよく使われていたこともあり、
印象に残っている。
(この写真は2002年撮影)

SLやディーゼルカー、電車の動く仕組みや、
貨車、客車などさまざまな車両の種類の解説文もある。

国鉄初の特急型電車、151系のモックアップ。
それまでの特急は、
機関車が客車を牽引する形だったが、
1958年(昭和33年)、
151系を使った「こだま」により、
大幅なスピードアップが実現した。

通勤型電車のいわゆる「新性能電車」のはしり、101系のモックアップもあった。
ドアを開けたりパンタグラフを上げたりできる。

まだまだ展示はあるけど、もう午後2時を過ぎた。2階のレストランでお昼にしよう。

京都鉄道博物館

ラストオーダーが午後3時だった。ちょっと危なかった。

「まかないハチクマライス」を食べる。
夜行列車の食堂車の乗務員が食べていた、まかない料理だそうだ。
名前の由来は、落語に出てくる八っつぁん・熊さんのような人でも作れるからだとか。

普通のハチクマライスは、目玉焼きを乗せた丼なのだが、
ここのものはほかにもいろいろ乗っていた。
ハム、厚揚げ、ミートボール、コーン、キャベツ、漬け物、ブロッコリー。
蒸気機関車・義経号の絵が入った海苔も。
いい意味で、まかない料理らしいおいしさ。

レストランの窓が大きい。
角位置で2方向が全面窓。
窓の外には梅小路運転区と、貨物駅。

その向こうに在来線と新幹線の線路。
東寺の五重塔の下を、新幹線が駆け抜ける。

さっきトワイライトプラザの近くで見た、
キティちゃん仕様の特急はるか281系も
よく見える。

京都駅の方向にも窓があり、その方向にも在来線(嵯峨野線)が通る。
京都タワーが目立つ。
SLスチーム号が動くのも見えた。

レストランを出て、再び展示を見る。
2階の展示もかなりのもので、今日じゅうには見切れなさそう。
もっとも、今日は旅の4日目で、相当疲れてる。疲れてないときにもう1回来たい。

……今から、午後5時台の嵯峨野線に乗ることを想像し、憂鬱になってきた。
京都駅前のホテルまで歩いた方がいいか? その体力は残っているか?

企画展「アイラブ鉄道標識 文字と記号で楽しむ鉄道」をざっと見る(7月10日まで)。
各時代、国鉄やJR各社の、駅名標とかサボとか、駅構内の案内表示とかが
ずらっと並んでいて、見てるだけで楽しい。

京都鉄道博物館

屋外の展示を見るために、2階の連絡デッキへ。

雨だ。
しかも予報よりかなり激しく降っている。
いきなり傘がおちょこになったので、いったん館内に引き返して直す。

あらためて2階のデッキへ。
SLの検修庫を見ることができる。

そしてこのデッキから、
京都鉄道博物館の中央にある
大きな扇形車庫が一望できる。
強風で揺れる傘を持ちながら
苦労して写真を撮ったので、
かなり傾いてる感じで写ってるけど。

この扇形車庫は、1914年(大正3年)に造られた、
現存する日本最古の、鉄筋コンクリート造りの機関車庫。
1972年(昭和47年)から、蒸気機関車の保存施設
「梅小路蒸気機関車館」として一般公開された。
2004年(平成16年)、重要文化財に指定されている。

もちろん、京都鉄道博物館になってからも、
貴重なSLがずらっと並んでいて、
博物館の大きな売りになっている。

デッキから外階段で下りる。
もっと近くで機関車を見るため、
扇形庫に近づこうとしたちょうどそのとき、
通路にチェーンが張られ、通行止めになった。

SLスチーム号として今日1日動いていた、
8620形が扇形庫に戻るところのようだ。
扇形庫への線路が、
人の通る通路とクロスしているので、
通行止めになったみたいだ。

8620形は1914年、日本で最初に量産された旅客用蒸気機関車。
(同時期に、貨物用の9600形も量産されている)
この8630号機も1914年に造られた。扇形庫と同じ年だ。
そんな時代の機関車が動態保存されている。さすが京都鉄道博物館。

しばらく待ってみたが、8620はまだ動き出す気配がない。
扇形庫にある蒸気機関車が、なかなか近くで見られない。
雨がさらにきつくなった。やむなく2階に戻る。

3階にあるスカイテラスに行ってみた。
いい景色が見えるかなと思ったのだが、
ここも屋外で、屋根もなかった。
早々に立ち去る。

京都鉄道博物館

そろそろ閉館時刻の午後5時が近づく。本館1階から外に出た。
幸い、出口まで屋根のあるルートがあった。
しかも扇形庫の中に入れる。

しかもまさに今、
さっきの8620が転車台に乗って、
回転しているところだった。

バック運転で、扇形庫に戻っていった。

扇形車庫には数多くの、しかもいろんな種類の蒸気機関車がある。
全部じっくり見て回りたいけど、もう時間がないし、
大雨の中に出ていかないと、機関車の正面が見えない。次の機会にしよう。

車庫の中からだとこの角度が限界だ。
この機関車はC62形の1号機。
プロムナードにもあった、日本最大の旅客用SL。
5両しかない現存車両のうちの1両。
この扇形庫の中にもう1両、2号機があるはず。

扇形庫は大正時代からのものだし、設計時には観光目的を想定してないだろうから、
雨を避けてSLを正面から眺めるスペースなんてなくて当然。

この1070形1080号機だけは、
車庫の後ろの方にあったので、
いい角度で見られた。
(小型の機関車B20形が、
この前に位置している)

1070形は英国から輸入された6200形機関車を、テンダー式からタンク式に改造したもので、
この1080号機は1901年(明治34年)製。
梅小路蒸気機関車館時代は、同館に保存されている最古のSLだったそうだ。
(明治前半に造られた1800形と、7100形義経号は、大阪の交通科学博物館から来た車両)

最後の見どころへ。出口棟が、昔の二条駅の駅舎。
最初に駅前から見えていたこの建物が、出口になっていたのだ。
半分が展示室で、もう半分がミュージアムショップ。
新幹線500系のキーホルダーと、耳かきと、
博物館のマスコット・燕のウメテツとSLの煙突えすまるのストラップ
(スマホのイヤホンジャックに挿すタイプ)を購入して、
外へ出ようとしたときに、ちょうど、『蛍の光』が流れた。

あらためて旧二条駅舎を眺める。
京都鉄道博物館、いい所だった。
雨が予報通りの小雨程度だったら
もっと良かった。

明日京都を離れる予定なので、今日見られなかった展示は、いずれまた来たときに見よう。
そのときは晴れてるか、せめて曇りであってほしい。

京都鉄道博物館

さて、この大雨の中を、京都駅前のホテルまで歩いて戻るか?
それとも、帰宅ラッシュの始まりそうな午後5時台に、
4両編成でクロスシートの嵯峨野線に乗るか?
究極の二択である。

しばらく考えた末に、歩くことに決めた。
オミクロン株とはいってもまだコロナの不安もあるし(※2022年6月時点)、
それに、すし詰めの嵯峨野線に3分乗るより、20分かかっても京都駅まで歩いた方が、
まだ疲れないと思った。
次回以降に回るルートも、ちょっと見ておきたい。

午後5時1分、梅小路京都西駅の前から、梅小路公園の中を東に歩き始める。

京都市電の車両が4両並ぶ「市電ひろば」。
車両は休憩所やお店として
使われているらしい。

梅小路公園(京都市都市緑化協会)

京都水族館の前を通って、梅小路公園の外へ出る。
細い道に入ったら迷いそうな気がしたので、大宮通を少し北へ行き、七条通との交差点へ。
龍谷大平安高校ってここにあったのか。

さらに少し東へ進むと、西本願寺の近くに出た。
こんな天気じゃなかったら、立ち寄って参拝したかった。
(※後で知ったが、午後5時閉門なので、どっちみち参拝はできなかった)

京都

ホテルに到着したのは、午後5時49分。
徒歩20分のはずなのに、48分もかかってしまった。
やや遠回りの七条通を通ったからということもあるが、
雨のせいも大きい。
傘をさすと風の影響をもろに受けるし、人とすれ違うのにいちいち苦労するし。

ホテルでしばらく休み、BS日テレの『笑点なつかし版』を見た後、
晩ごはんを食べに京都駅の「みやこみち」へ。
今日は、にしんそば。初めて食べたはずだけど、なぜか懐かしい。
京都に来たんだなあと実感した(京都に着いてから5日目だけど)。

コンビニで、シュークリームとか、抹茶チョコとか、
明日食べるパンとかを買って、ホテルに戻る。

途中からだけど、京都で初めて、
火曜日の午後9時台に『開運!なんでも鑑定団』を見ることができた。
(骨董品や歴史を扱う番組なのに、なぜか京都では地上波でのオンエアがないのだ)
「NOW ON TVer」さまさま。


翌15日。今日も4時半就寝・8時半起床。4時間睡眠。これが良くない。
コンビニで買ってたジャムパンを食べる。10時35分、ホテルをチェックアウト。
また雨が降ってる。

今日は京都を離れる予定だが、その前に、10時53分のバスに乗り、
59分、西本願寺で降りた。
昨日この近くまで来ながら、西本願寺を訪れなかったことが気にかかっていた。

浄土真宗本願寺派の本山、西本願寺。
本堂にあたる阿弥陀堂。

親鸞聖人をまつる御影堂(ごえいどう)。

今回は参拝するだけなので、じっくり境内を見て回るのは、また次の機会にしよう。

喫茶室でカレーを食べる。
メニューは特に精進料理というわけではなく、普通に牛丼などがあったりするあたりが、
いかにも浄土真宗らしい。

あと、今回調べるまで全く気づかなかったのだが、
真宗のお寺には、お守りも御朱印もないらしい(一部例外あり)。
私は神社とか、天台宗や真言宗のお寺で、お守りをよくお受けしていたので、
気づかなかった。

だから寺務所の売店に並べられているのは、
凄く本格的な仏具か、観光客向けのおみやげ品のどちらかしかない。両極端。
キティちゃんのストラップがあったり、なぜか金閣寺のキーホルダーがあったり。
(金閣寺は臨済宗)

西本願寺の下り藤の紋が蒔絵加工で入った、根付を購入。

本願寺(西本願寺)

雨は上がった。バスの時刻が微妙なので、歩いて京都駅まで戻る。
ホテルに預けていた荷物を受け取る。
午後1時39分発ののぞみ108号に乗って、京都を後にした。


新幹線に乗ったら、あっという間に寝てた。
午後2時13分、名古屋着。ここで降りた。

名古屋('22.6.15)

作るかどうかわからないけど、今構想中のゲームのための取材にやってきた。
久しぶりの名古屋は、いろいろ変わっていた。ビルの数が増えている。
かつてのホテルアソシア名古屋ターミナルの跡地にできた、
JRゲートタワーホテルに泊まる。

客室の窓から下を見ると、
名古屋駅の線路が見える。
貨物列車が通った。

線路がこの区間だけ新しくなってて、
その下でけっこう多くの人が働いている。
ここがリニアの建設区間かな。

尾張一宮('22.6.16)

翌16日は一宮市で、
作るかどうかわからないゲーム用の素材撮り。

2時間に1本のバスに乗り、
木曽川の渡し船乗り場、
愛知県営西中野渡船場へ。

木曽川が広い。

渡船場に2そうの舟が停泊中。
ただし月曜・木曜は運休だそうで、
木曜日の今日は誰もいない。
もともと私は、この渡船場と木曽川の
写真を撮るのが目的だったので、
人がいない方がかえって都合がいい。

 

バスは2時間に1本しか来ないので、歩いて駅まで戻ってみる。

 

明地という場所にある、新幹線の高架下。
新幹線車両が通過するところを、写真におさめようと思っていたら……、

やってきたのがまさかの
ドクターイエロー(923形)だった。

見ると幸せになれるとかなんとかいわれている希少な車両に、
こんな所で出会えるとは。
……幸せになれるといいな。
ゲームの素材撮りで来てるので、ゲーム作りに関連した、
何か幸せなことが起こらないかな。

ただ私は、これまでの人生の中で、全国のいわゆるパワースポットとされる場所を
多々訪れていながら、全然幸せが訪れない。特に「縁結び」と「勝運」が本当にダメな、
“パワースポットクラッシャー”だからなー。

結局、駅にたどり着くはるか手前、五城中というバス停で、
次のバスに追いつかれたので乗った。
渡船場から1時間半くらい歩いたと思うが、その道のりをバスはたった7分で駆け抜ける。
まあ、トイレのなさそうなルートを2時間歩くことになるのが不安だったんだけど、
特に問題なく回ることができて良かった。

翌17日、11時半頃に名古屋から新幹線で帰る。
運良く名古屋から小田原までノンストップのひかりに乗れた。
小田原での接続も良く、午後3時には家に帰れた。
……ドクターイエロー見た分の運気を、このことで使い切っていないだろうか?

(続く)


今回のルート

京都観光Navi(京都市観光協会)  京都府観光連盟
JRおでかけネット(JR西日本)


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